システマは武術ですが、
技を練習したり、体を鍛えたりしません。
自分と向き合うことが練習です。
それは、決して、”自分との闘い”というニュアンスでないことを、強調したいと思います。
人生のあるゆることにおいて、
頑張って苦労を重ね続けることを、”自分との闘い”と揶揄されることがありますが、
システマにおいて、この考え方は放棄しなければいけません。
このマインドは、システマ上達の障害となります。
頑張ることやヤル気は、リラックスと相反し、システマをできなくするのです。
これが、システマ特有のものであり、
武術の範疇を超えて、人間性・マインドをもハックしてしまう要素です。
人間性を変えてしまうとは!?
システマによって、やる気を削がれるということではありません。
頑張ってる感や苦労することが、
良い結果をもたらすという考え方を取り除けるようになります。
人間は、承認欲求のかたまりです。
頑張っている人や苦労している人は偉いという風潮があるため、
私たちは、頑張ったり、苦労したりすると、
人に認めてもらおうとします。
知らず知らずの内に、そのアピールを計ろうとするのですね。
私は努力を他人に見せない、
そういった人でも、いつか成功したときに、
「私は人一倍頑張ったからね」などと、自分の苦労を得意げに話したりします。
また、頑張りが評価されるものというマインドは、
自分が疲れ果てた時に、
「私はとても頑張った」と、それを止める自分を説得させる材料に使う可能性があります。
「頑張っている人は偉い」という考えの起源を辿ってみましょう。
これは、「成功者は偉い」からきていると、私は推測します。
成功を修め、人々の生活を豊かにしたり、貢献した結果、
人に感謝され、敬われ、偉いと評された。
成功者は、たいてい人一倍の努力をしている。
その認識が、
成功者=頑張っている という連想を引き起こし、
この考えを作り上げたのだと思います。
本質的には、
頑張っていること、苦労していること自体が偉いのではなく、
結果を出して、初めて偉いのです。
この点に、システマをやっていると、日々気づかされます。
頑張っても、パフォーマンスが発揮されない(システマで護身できない)からです。
上手くいかなかったことに対して、
努力が足らなかった、という言いワケが通じないのです。
すなわち、
「頑張ったけれど、上手くいかなかったことはしょうがない」
というマインドを捨てることができるようになってきます。
※これはシステマの公式的な思想でなく、
私のシステマをして想うことなので、悪しからず^^;
頑張り至上主義を捨てることが何の役に立つか?
何か結果を出さなければいけないときに、
「頑張る、努力する」ということに囚われず、
どのような手段を選べばよいか、工夫の余地がないか、
という結果を出すための本質的な考え方を、
先行させられるようになるはずです。
このようにスマートになれることの他にも、メリットがあります。
”頑張りや努力は尊い”と定義付けないことで、
争いは少なくなると思います。
(全てではなく、一部の争いです^^;)
人は努力を馬鹿にされたり、踏みにじられたりすると、
憎悪が巻き起こるものですよね、たぶん。
呼吸を整え、リラックスし、カーム(冷静)に考えてみてください。
(あざ笑われることは、自分が非効率的な時間を過ごしているという客観的な情報です)
(手段や工夫を深慮したならば、リスクも把握できたはずです)
憎悪が巻き起こり、争う暇があれば、
新たな手段を考える時間に充てましょう。
このシステママインドが広がれば、
世界は、もっとスマートな技術が活発に発明されると思いますし、
印象操作による中身スカスカの人でなく、本当に偉い人が評価されると思います。
これは、私がシステマを普及させたい理由の1つでもあります。
最後に断っておきますが、
頑張っている人を否定しているわけではありません。
挑戦自体は、素晴らしい。
結果の良し悪しにかかわらず、必ず成長を生みますから。
結局は、手段を考えては実行し、挑戦を繰り返す
・・・つまり他者から見ると、苦労しているように写るでしょう。
しかし、当事者は苦労という感情に囚われないようにしましょう。
それは、心の緊張(テンション)とぶつかっており、
精神力が削られ.......云々(長くなるので略)。
努力や苦労は、評価されて然るものでない。
評価するかどうかは他者の権利。
さぁ、皆さん
明日から、おのおののミッションを、
力まず、スマートに淡々とこなしていきましょ~♪